君はいにしえの「ネパワ」界を知っているか

ゲームの話

実況パワフルプロ野球、通称パワプロ。
野球好きはもちろんのこと、ほとんどの男子諸君が1度はプレイしたことがあるのではないだろうか。

そんなパワプロに関連して、ネパワ界というものが存在した。
何を隠そう、津田のインターネットデビューはこのネパワ界なのだ。

ゲームのメジャーさもあり、割と大きな界隈だったと思うのだが、自分のネット原人時代を振り返りつつ、ちょっと懐かしんでみようと思う。

ネパワ界ってなーに?

ネパワ界というのは、そのまんまネットのパワプロ界隈という略だ。

2000年代前半~中盤くらい、パワプロ人気はなかなかに大したものだった。
サクセスで野球部の友達を作ったり、そのアレンジチームで遊んだりと、パワプロは一種のコミュニケーションツールと言っても大げさではないだろう。

当時は今のTwitter(なーにがXじゃ)のようなSNSというものがなかったからね。
LINEの先駆けみたいなメッセンジャーとか懐かしのSkypeとかはあったが、素性はよう知らんが好きなものは似ている不特定多数の人と交流する…
というのはなかなか難しかったのだ。便利な世の中になったわね。

それなら、いにしえのネット民たちはどうコミュニケーションをとっていたのか。
それは個人サイトを開設する方法だ。

津田が古いものの例えとして伝家の宝刀みたいに使う魔法のiらんどとか、ホームページビルダーとかで作っていたのだろう。
津田もiらんどで香ばしめのブログを書いてたよ。

ガラケーの画面なっつ

そんな個人サイトを、パワプロ好きがこぞって作っていた。
その集まりがネパワ界なのである。(たぶんね)

津田とネパワ界の出会い

津田が初めてインターネットに触れてしまったのは、小学校6年生のときだ。
そんなに教育に熱心な家庭でもなかったのだが、中学受験をする関係で、小さい頃から隣駅にある塾まで送迎してもらう必要があり、
初めてケータイというものを買ってもらったのである。(結局野球部に入りたかったので地元の公立中学に行ったけど)

当時はようやくインターネットの定額制が始まったころだ。
パケホーダイみたいな名前だったはず。みんな知ってるかい?
たしかボーダフォン(もうソフトバンクだった?)かどっかがいち早く初めて、auやドコモにも導入された…みたいな感じだった気がする。

津田が最初に買ったケータイがこれ。

ガラケーという言葉もなかったぞ

A5403CAのオレンジ
当時はハモネプで有名になったおっくんが同じやつ使ってるってウワサだった。
いや、誰が覚えとんねんその話。
とにかくデザインがだせえと思ってしまい、パケホーダイのケータイにはしなかったのだ。

その結果、中学のときに月の通信料10万円超を何回かやって、めちゃくちゃ怒られた
そらそうだろ。お金に困ってる家庭だったら捨てられててもおかしくない。わしが親ならぶっ飛ばしとるど。父さん母さんありがとう。(Hi!)

当時は中学生でもケータイ買ってもらってるのがちらほら…3年生になるくらいで大体持ってるみたいな時代だったので、こっそりえっちなやつとか見てたんだ。
この辺もいつか書いたら面白いかもしれない。

とまあ、そんな感じでインターネットに少しずつのめり込み、中学生になってからは家族共有のPCで野球選手のホームページとか好きなサイトを見るようになった

なぜかめちゃくちゃ印象に残っているのが、スペランカーこと多村仁志のホームページ
野球選手に必要な能力を全て備えている人を5ツールプレイヤーと呼ぶのだが、彼はそこにルックスという項目を勝手に加えて6ツールプレイヤーと自称していた。その自信にあっぱれ。

ともかく、そのときはパワプロももちろん好きだったので、「パワプロ」とかで検索し始めるようになる。
それが津田とネパワ界の出会いだ。公式サイトのパワプロ通信みたいなやつがあって、それも結構好きだった。

ネパワ界には2種類あんねん

津田が最初の方に入り浸っていたのは、ホームページビルダーで作ったような、個人サイト群だ。
正確には覚えていないけど、3つのサイトくらいで掲示板に書き込んでいた。

唯一印象に残ってるのは「パワプロ大学」みたいなサイト名だった気がする。
掲示板にはそこそこ入り浸ってたし、キリ番はめちゃくちゃ積極的に踏んでいた。いや、キリバンゲトーしていた。
なんか隠しページみたいなのがめちゃくちゃ流行ってて、いろんなとこをクリックしてた記憶もある。

当時のハンドルネームは雨男だった
別にそうじゃないのに何故。かっこいいと思ったんだろう。今考えるとはずかぴ。

アイコンを選べるのだけど、必ずパワプロ9の尾崎先輩を選んでいた。

思い入れもないのになぜ?かっちょいいと思ってたんだろう。

この雨男時代が、津田のネパワ界前半だ。
特に何をするでもなく、色んな人とテキトーにパワプロのこととか学校のこととか話してた。

1回自分のカキコ(カキコて)のせいで不安な空気になったときに、
涙目で「ごめんなさい、小学生の弟が勝手に打っちゃったみたいです」って架空の弟のせいにした記憶は鮮明にある。津田は末っ子なのに。

個人サイトはそれ以降も続いていたと思うが、高校生になるくらいのタイミングで、個人ブログ時代に移った記憶がある。
世はまさに魔法のiらんど時代
こっちが津田の謳歌したネパワ界の本質なので、こっちをメインで書こうと思う。

楽しかったー ネパワ界ー(ねぱわかーい)

津田も魔法のiらんどでブログを書くようになった。たぶんドラゴンズ応援みたいな感じ。
駒大苫小牧の甲子園優勝で騒いだり、山本昌のノーヒットノーランで歓喜したりという記憶が残っているので、その辺の時代。結構続いてたな。

当時のハンドルネームは「⭐︎(本名の一部)⭐︎」
たとえばまさひろだったら、⭐︎MASA⭐︎みたいな。
普通に自分の名前を使いつつ、⭐︎で囲うという、ナウでヤングなイカしたハンネだね。
♰(十字架)で囲っていたらさすがに恥ずかしくて言えなかったかもしれない。ギリギリアウトってところか?

なぜかは覚えていないが結構見てくれる人もいて、ブログのコメントを通して、割とたくさんの人たちと仲良くなった。
パワプロで作ったオリジナル選手だけのチームをみんなで持ち寄ってオーペナ回す大会とか、12人集めて実在選手をドラフトしてオーペナ回す大会とか、そういう企画にも参加してめちゃくちゃ楽しかった。
普通に今の人生より楽しそうで泣きそう。この実在選手ドラフトやりたいので、誰か参加してくれる人募集します。

歳の話になるとなんとか誤魔化していたが、たぶん当時の津田は界隈だと最年少くらいだった。
大学生か社会人の人が多くてバイトやら仕事やらで忙しいと言いながら楽しそうにしていて、良いなと思ってた。
今では一回りくらい下の子たちと一緒にゲームしてるし、時の流れは不思議だね。

先駆け!オタサーの姫

ネパワ界、というと広すぎるが、津田たちの界隈を引っ張ってくれている、みおさんという女性がいた。

前に書いたオーペナの大会も、このみおさんが企画運営してくれていた。
当時は今みたいにゲーム内でチームデータを丸々送る…みたいな便利機能はなかった。
なので、1選手あたり80文字とかのパスワードをせこせこと選手30人くらい、それを12チーム分(自分抜いたら11か)も打ってくれていたと考えると頭が上がらない。姐さん、ありがとう。

めっっっっっっっっっちゃくちゃダルい作業

顔の広い人で、人当たりも良かったし現代でいうオタサーの姫みたいな感じだったのかもしれない。津田も割と好きだった。
年齢的に初恋とかではないが、世が世なら「オフ会キボンヌ」とか言うてたかもしれん。

そんなある日、自分のプライベートをちょっと晒す…みたいなのが仲間内で流行った。

ある人は「豊島区の大学に通ってるよ」とか、またある人は「実は高校野球の福岡県大会で決勝まで行ったことある」とか、身バレには気をつけつつも、ちょっとずつ情報を出し合う。
今思うとなんやそれだが、スリルを楽しんでいたのだろう。

夏の暑さが和らいだころ、我々に衝撃が走る。
家事手伝いをしている20歳前後の女性ということがわかっていた、我らのアイドルみおさんが、「今日の夜0時になったら5分だけ顔写真あげるね!」とブログに書き込んでいたのだ。
このシチュエーションえっちすぎるだろ。

津田は準備した。嫌いなコーヒーを飲み、寝落ちしないようにコンポでラジオ(ニッポン放送東貴博のヤンピース)を聴きながら、更新ボタンを押して待つ。

どんな顔をしているのか。ちょっと歳上のおねいさんが夜にあげる写真とは…固唾を飲みながら更新ボタンをぽちぽちした。

おそらく日付が変わって10分くらい。「おまたせ!」みたいなタイトルで記事があがった

きたっ!
熱々の鉄板を触ったときの反射よりも速いスピードで記事をクリックし、一番下までスクロールする。なんか文字も割と書いてあったはずだが知ったこっちゃない。顔が見てえんだ顔が。ルッキズムがなんぼのもんじゃい。世の中ね顔かお金かなのよ。(突然の回文)

その翌日から、津田がこの界隈にいる時間は少なくなった
いや、割と多くのユーザーがちょっとずつフェードアウトしていったような気がする。

何故なのかは今でもわからない。うん、わからないことにしている。
ぶっこ抜というのが話題になったが、その先駆けだったのだと思う。

余談だが、もう1人いた女性の雪姫さんという人は、パジャマ姿の美人な写真を上げていた。
今思うと、たぶん有名じゃないアイドルとか風俗嬢の写メ日記とかからの転載だったのでは?という気がするが、津田のセカンドラヴが始まる。ただ、これはまた別のお話…

津田の甘酸っぱい思い出、いや甘塩っぱい思い出みたいな話でした。

おわりでーす

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